2009年05月06日

水のような環境

今日で連休も終わり、明日から仕事である。


今年の連休(暦通り休み)の後半は実家にいて
何をするわけでもなくだらだらと過ごした。
最近は実家に自分のパソコンを持ってきて自由にネットもするので
不自由がなくさらに過ごしやすい。
今は先ほどからひとりコツコツと研究発表の準備をしている。


実家にいる間、私はかなりやりたいように過ごしている。
食べたい物を食べたい時に食べ
眠たいなら起きてこなかったり朝食後また寝たり。
夜も遅くまでゴソゴソしていたり。
おかげさまでストレスが少ない。


実家は年老いた祖母も同居しており
以前ならこうした勝手な行動はうるさく言われたものだった。
早く寝なさい、ご飯を食べなさい、お風呂に入りなさい、起きなさい、と
まあ、子供が親に怒られる典型的な感じだ。
昔ながらの普通の家庭なら当たり前のことだと思うし
そうでなくてはいけないとも思う。


最近は父も母も、本来ならもっと口うるさく言いたいところを
私の気分を伺ってぐっとこらえてくれている。
自分でもいい年をしてまあ身勝手な娘だと思うものの
今はありがたく甘えさせてもらっている。


主治医は「抱えの環境を提供すること」すなわち
安心できる雰囲気を提供することが精神療法だと言っている。
バリントの言葉を引用し
「水が魚を支え、活かすような」環境を作るのがモットーだという。
この話もまたいずれ書こうと思う。


以前はそうではなかったが、たくさんの積み重ねの結果
今では実家は私にとって、私を支える水のような環境となった。

また家族とのやりとりも、私にとっては精神療法のひとつである。


とてもありがたいと思っている。



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2009年04月26日

実家

調子を崩して以降、よく実家に帰るようになった。
用事がない限り、土日は毎週帰っていた。
父母と祖母のいる実家。

最初の頃は父母がなかなか私を理解できず、実家に帰ることで
かえって喧嘩になったりいやな気分になったりしていた。
しかし父母と話し合いを重ね徐々に理解が深まると
実家は私にとって安らぐ場所となっていった。

父母とは難しい話もするが、それ以外に
適当にテレビを見てたわいもない話をする時間も多い。
何をするわけでもなく過ぎていく時間がよい。
母親とはよく一緒に買い物に行く。

祖母にも受診後より簡単に自分のことを伝えている。
適当に理解してくれているようだ。
以前から私が祖母を一番わかっていることもあって、
毎回帰るたびに自分の趣味のものなど持ってきて
熱心に見せてくるのは相変わらず。。
それも楽しい。


最近は以前のように、週末必ず
実家に帰ることが必要ではなくなったように思う。
いい意味で、適当に気楽に感じられるようになった。



主治医の言葉に「一木一草これ治療者」とあるが、
父も母も祖母も、家族との何気ないやりとりは私にとって
ありがたい治療のひとつである。



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2009年04月12日

私たちのいる神殿のはじめの場所、小さな女神から、世界そして生命が芽吹く

エルネスト・ネト.jpg


実は先ほどまで母親と話をしていた。
(夜更かしは軽躁を加速させるので厳禁なのだが・・・)

最初は普通に話し出し、途中からは自分の治療の話などをした。
最近の診察で主治医と話した内容、精神分析の難しい話など。


以前書いたように、私は母親にアンビバレンツ(両価的)な感情を抱いていた。
なぜかはわからない、理由をずっと解明したかった。

母親は私の病のこと、苦しみについてなかなか理解してくれず、
私はそれにイライラして、母親に対し腹が立った。
かなり初期から「もうどうせわかってくれないんだから」と
母親に説明するのが面倒になりやめてしまっていた。

だがこの間から、話せるようになってきた。
それは先日書いたように、黄本を読むように
母親に強く言ってからのように思う。


「なんでだろうね?」との私からの問いかけに対し、母親はこう答えた。

黄本を読んで、やっとあなたのことを理解できるようになった。
あなたは病気なんだとやっと認められるようになった。


途中からは泣きながら続けた。

『お前(母親)も認めないと駄目だ』とお父さんに言われた。
『例えば胃癌の人がお腹を痛がるのと一緒だ、
 それを否定する奴がいるか?いないだろう?
 あいつ(私)の苦しみだってそれと一緒なんだ』と。


母親はずっと、私が病気であることを認めたくなかったのだと言った。
母親の気持ちとして、自分の子供がそんな病気であることを
どうしても認めたくなかったのだと。
だけどやっとわかった、あなたは病気なんだ。
やっと認める、と。


「ありがとう、嬉しい」
私は母親を抱きしめた。
母親はおいおい泣いた。


私は私が母親に抱いていた感情を理解した。
私はずっと、母親に受け入れられていないと感じていた。
「力になるから」と言われつつも、表面上だけのような気がしていた。
せっかく一生懸命話しても、どこかまるで
他人事のように扱われていると感じていた。


この直感は正しかったのだ。
母親は“病気である私”をなかなか受け入れられなかった。
私は母親から拒絶されたように感じていた。
そして愛している母親に同時に憎しみも抱いていた。



やっと母親は私を受け入れた。
私は安心して母親に還ることができるようになった。

ただいま。


なにもかもよくなる気がする。



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2009年04月05日

母親について2

母親は私の病のこと、苦しみについてなかなか理解してくれなかった。
一生懸命話しても、なかなか通じなかった。
そのことは私の苛立ちに拍車をかけた。

ではひどい母親だったのか、というとそうではない。
母親は母親なりに、病を抱えた私に対し
なんとか力になれることはないだろうかと、一生懸命にやってくれた。
時に全く的外れではあったが、どうすれば私のためになるかと
母親なりに考えてくれてもいたようである。


調子を崩してからは、私は
週末になると毎週のように実家に帰るようになった。
最初は私を理解してくれない父母に対しガックリしていたし
かえって実家に帰ることで疲れたり
悪くなるきっかけとなったりすることもあった。
だが、徐々に理解が進むと(主に父だったが)
実家は私にとって居心地の良い、心休まる場所となっていった。

思えば母親は、私のためにいつも美味しい食事を作ってくれた。
私が軽躁で苛立ち、身勝手な怒りをぶつけても
本当は反論したいことがたくさんあっただろうが、耐えてくれた。
耐えて、機嫌を直し、時間が過ぎるのをただじっと待った。

それだけでよかったではないか。
それだけしてもらっただけでも、なんてありがたいことだっただろう。

深く深く感謝している。
同時に、お詫びの気持ちでいっぱいだ。

ありがとう、そしてごめんね。



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posted by きらきらちょうちょ at 01:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

母親について1

私は母親に対して、アンビバレンツ(両価的)な感情を持っている。
とても好きで、愛おしく、大切であると同時に
とても憎く、腹立たしく、苛立ちを感じる。

なぜかはわからない。
もちろん、フロイト的にいえば、エディプスコンプレックスとか
そんな理屈が存在しそうではあるが。
また母親自身も、自分の母親(私の祖母)との間にいろいろとあり、
複雑な感情を抱いているようだった。


母親は私の病のこと、苦しみについてなかなか理解してくれなかった。
せっかく一生懸命話しても、なかなか通じないのだ。
そのことは私の苛立ちに拍車をかけた。
父親とは、今となっては
1話せば10のことを理解してくれるくらいであるのに
それに対して母親には10を話してやっと1が通じるくらいだった。
全然私のことをわかってくれなかった。
おそらく私と父親とはどこか似たところがあるのだろう。
考えていることが本当に伝わりやすい。
ところが母親とは駄目なのだ。

そもそも母親は(頭は良い人であろうに)
普段から人の話を全然聞かない。
(中年女性にはよくあることかもしれないが)
そんな母親に対し、私もあまり期待しなかったのだろう。
それも確かにいけなかった。
父親には熱心に説明し、本も勧めたが
母親にはあまり自分の深い部分は話さず、本なども勧めなかった。
なかなか理解してもらえないので、理解してもらう以前に
私が腹が立ったり疲れたりしてしまうだろうと
最初から諦めていたのだと思う。
それに下手に深層心理に踏み込むようなことをすると
母親と祖母(母親の母親)との間にある触れてはいけない部分まで
届いてしまいそうで、控えていたという理由もあったかもしれない。


だが先月、私の軽躁が怒りモードに加速していた時、
腹立ち紛れに「もっと私のことを知る努力をしてよ!」と
“黄本”(うつ病新時代―双極2型障害という病)を読むよう強く言った。
そうしたら根は真面目で賢い母親だ、すぐに半分ほど読んでしまった。
(一般の人には結構難しい本だと思う)
こんなに即刻読めるものならなぜすぐに読まなかったのだ、と
ちょっと笑えたが、やはり
母親に熱心にアプローチしなかった私もいけなかったか。
だが、前にも書いたように、“黄本”は
ちょっとミゼラブルな気持ちにさせられる内容である。
なのでそれとは対極にある、なんだか楽しくなってしまう
神田橋先生の論文を先に読むように勧めてみた。

後日、読んだ感想を訊いてみた。
私としてはてっきり、
「神田橋先生の論文で元気になった、希望が湧いた」
という感想が返ってくるものとばかり思っていた。
ところが母親の感想は、意外にもこうであった。

「(神田橋先生の論文は)なんだか悲しくなってくる・・・
 薬の話のところも、読むと
 なんだかあんたが一生薬を飲まなきゃいけないようで・・・
 そう思うと可哀想で・・・(以下涙)」

あれれ。
いまさら何言ってんのさ(汗)。
私が診断後そのことでどれだけ嘆き悲しんだことか。
もう1年半4ヶ月も前のことだよ。
温度差時間差がありすぎ。

わかったよ。
「理解してくれない」と、努力しなかった私も悪かったよ。

だけど“黄本”のほうの感想は
「治った人もいるって書いてあるね」と
意外にも希望を見出していた。
感じ方は人それぞれとはいえ
やはり母親と私とは親和性が少ないらしい。。


まあいい。
今後は私も、母親に害の出ない程度に
積極的にアプローチするようにします。



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posted by きらきらちょうちょ at 00:47| Comment(11) | TrackBack(0) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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