2011年01月20日

ゾーエー/無限なるいのち

最近ずっと考えていたことがあった。

少し前、調子が悪いときに
一生懸命「同行二人」をイメージしたところ
それは主治医との関係だけでではなく、両親についても
同じようなことがいえると思った。
http://bp2.seesaa.net/article/180359266.html

そしてコメントくださった方とのやり取りを経て、
さらに深く考えるに至った。


私は両親の子供だ。
自立しているとかしていないとかそういう問題ではなく、
死ぬまで一生両親の子供だ。
そして、この絆は確固たるもので
何があっても壊れることはない。
私は安心してここにいることができる。
両親はいつでも私の傍らにいる。

また当たり前のことだが、両親は私より先に死ぬ。
目の前からいなくなる。
だけど決していなくならない。
私の中に居続けるだろう。


そういうイメージができたら、とても穏やかになった。
怖くなくなった。

今度両親に会ったら、真面目にこの話をしようと思っていた。
あなた方のおかげで私は今ここに在り、生きていられるのです。
本当にありがとう、感謝している、と。



今日もこの両親とのこの関係についてぼんやり考えていたところ、
急に「無限なるいのち」という言葉が脳裏に浮かんだ。
両親から私へ、脈々と受け継がれてきたもの。

ふと、思い出した。
それはまったく「ゾーエー」そのものではないか。


「ゾーエー」とは、著名な精神科医木村敏先生の講演録に出てきた言葉だ。
以前主治医よりもらって読んだ。
かいつまんで説明することなどとてもできないが
以前の記事に簡単に触れてあるので抜き書きしておく。
http://bp2.seesaa.net/article/125370726.html



この少し前、1月中旬に、私は主治医からある論文をもらっていた。
木村敏先生の日本精神病理学会第16回大会特別講演
「自己の病理を求めて―回顧と展望」。
(臨床精神病理第15巻1号1994年4月)
主治医によると、木村敏先生の論文はどれも難解で消化不良を起こしていたが
これはとても読みやすく、素晴らしい内容なので、ぜひあなたにも読んでほしい、と。
ポイントは「ビオスとゾーエー」だった。
これらをここで説明するのは困難なのだが、簡単に言うと
どちらも命を指すギリシャ語なのだが、わざわざ2つあるのにはわけがあり
ビオスは個体の命、生き物として死ねばそこで終わる命、有限の命。
それに対してゾーエーは無限の命。
脈々と受け継がれ、個を超え個を包み守る命の泉。

主治医は診療にこのゾーエーを活用したいと思っていた。
患者がこのゾーエーを感じ、ゾーエーに包まれるような環境を、と。




主治医との、そして両親との同行二人をイメージするうちに
私はこのゾーエーに包まれるような心境に至ったようだ。
これが、最近感じていた「何かを悟ったような気分」の本質だったかもしれない。



ゾーエー、無限なるいのちの泉に満たされて
私はいま生きている。



ランキングに参加しています
クリックをお願いいたします
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ
にほんブログ村


posted by きらきらちょうちょ at 23:34| Comment(4) | TrackBack(0) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月13日

悲哀反応

このところ調子が悪い。
なんとなく気分が上がらない。

自分なりに原因を考えてみて、やはり叔父のことが影響していると思った。

先日会った叔父は、すぐとは言わないが
そう遠くないうちに死に行く人のように思われた。
若くして死ななくはいけない叔父の無念さ、残された家族の辛さ、
私の母(叔父の姉)や祖母(叔父の母)の悲しみを思うと
胸が押し潰されそうだ。

例え私が医者で、他の職業より死に慣れているとはいえ、
悲しいものは悲しいのだ。


今の自分の状態はきっと、悲哀反応なのだと思う。



ランキングに参加しています
クリックをお願いいたします
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ
にほんブログ村
posted by きらきらちょうちょ at 21:54| Comment(2) | TrackBack(0) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月09日

喉元まで出かかった言葉

私は月に2回、遠方の主治医のところまで受診するため実家に帰っている。

先ほど叔父宅で、自分が頻繁に実家に帰っていることを話題にしたが
もう少しで「というのも数年前から病気になって・・・」と話しそうになったところを
グッと飲み込んだ。

叔父たちには、自分のこんな話はしなくてもよいような気がする。
もう自分は、自分のことを変に“特別扱い”しなくてもよいような気がする。
“普通”にしていればよいような気がする。

“普通”とは何だろう?



ランキングに参加しています
クリックをお願いいたします
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ
にほんブログ村
posted by きらきらちょうちょ at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

叔父

去年の夏に肺癌を宣告され、「余命1年半」と言われた叔父の家に遊びに行ってきた。

叔父はその後抗癌剤治療や放射線治療を受け、社会復帰もしている。
しかし医者の「余命1年半」の言葉が気が気でなかった私は
なんとか元気なうちに一度叔父に会っておきたかったのだ。

すっかり痩せてしまった叔父は、仕事に行っているとはいえ
頻繁に咳をし、胸を痛がっていて、見ていて気の毒だった。
目の前で笑っている叔父が、あと数カ月で亡くなるかもしれないと思うと
嘘みたいだが、その確率は高い。




3年前の発病当時、私はこうなってしまった自分の運命を呪った。
また、精神疾患であるという、目に見えない病であることを嘆いた。
これが双極性障害でなくたとえば癌患者だったら、
人に知られたくない、恥ずべきことだと感じることはないだろうし
他人に伝えても気の毒がられるだろうに、と羨ましくさえ思った。

そう思った当時の自分を後悔はしないが、
今の叔父と私と比べれば、どちらが長生きできるかは、明らかだ。
私は自殺さえしないように頑張れば、とりあえずは生きていくことができる(と思う)。




叔父を支える叔母の姿が印象的だった。
私が言うのも変だが、この叔母なら叔父を安心して任せられると思った。
とても素晴らしい夫婦の絆を見て、胸が熱くなった。


私は長生きしたい。
これからもいろいろあるだろうが、もっともっと生きていきたい。



ランキングに参加しています
クリックをお願いいたします
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ
にほんブログ村
posted by きらきらちょうちょ at 22:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月28日

イライラ

週末実家でいろいろあり、イライラしていた。

こういうとき、家族間のイライラは伝染するように思う。
自分がイライラしていると父母もイライラするしその逆も。
できるだけ相手のイライラに巻き込まれないようにしたいが
それがなかなか難しい。

そんなときは離れるに限る。
一緒にいなければよいのだ。

そう思って出かける。
さっさと自分の家に帰る。


また、こういうときは他人にもイライラしやすい。
さきほど父親も駅までの運転中に、他のドライバーに文句ばかり言っていた。
それを聞いた私にも父親のイライラが感染る。
新幹線に乗ったら乗ったで、隣の席の人のマナーが気になりイライラする。
ネットが繋がりにくくてイライラする。


こういうときは早く寝るに限る。
今日は家に着いたらさっさと寝よう。



ランキングに参加しています
クリックをお願いいたします
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ
にほんブログ村
posted by きらきらちょうちょ at 19:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。