今では大好きなアーティストだ。
大きなシルクスクリーンも1枚持っている。
彼女の作風は画面を埋め尽くす無数の水玉や網やかぼちゃで有名だ。
また無数のファルス(男根)が並ぶソフトスカルプチャーでも知られている。
最初のころは彼女は強迫神経症なのだと思っていたが
いろいろな記述を読むと、統合失調症とのことであった。
ところが先日発売されていた雑誌「PEN」の特集
「やっぱり好きだ!草間彌生」によると、
統合失調症と躁うつ病の合わさった非定型精神病だという。
しかも、診断し彼女の才能を認め世に紹介したのは
かの有名な精神科医西丸四方先生だと。
これには少々驚いた。
てっきり統合失調症とばかり思っていたし
(彼女はNYより帰国後は、もう何年も精神病院で暮らしている)
躁うつ病だとしたら自分と同じ成分があってもいいように思ったからだ。
*
この数カ月、彼女の作品を目にすることが多かった。
豊田、松本、東京で彼女の作品を観た。
彼女の故郷松本では、特別展も開かれていた。
やはり素晴らしかった。
エネルギーに溢れている。
そんなこともあって、彼女の自伝「無限の網」を読んでみた。
圧巻である。
感動して涙が出た。
あの時代に単身NYに渡り
あのような活動をしてきたその、いのちの煌めき。
自分の目指す芸術を追い求めるその姿。
読んでみて、診断に納得した。
彼女はただの(というと語弊があるが)統合失調症ではない。
統合失調症の閉ざされた世界はそこにはない。
孤高を保ち一人生きる世界ではない。
そうむしろ、躁うつ病だ。
溢れんばかりのエネルギーと時にやってくるノイローゼ。
躁うつの波だ。
そしてそれゆえの才能でもあるかもしれない。
この本を読んで、ますます彼女が好きになった。
その才能をより知ることができた。
そればかりか、共通した成分を持つ者として嬉しくなった。
つい先日81歳になった彼女だが、その年齢を全く感じさせないほど
まだまだ精力的に活動をしている。
今年開催されるあいちトリエンナーレにも参加する予定だ。
ここで、とくに心を打った一節を引用したい。
百年後の一人のために
ものごころつく頃より、私は絵や彫刻や文章を、何十年と創りつづけてきたが、本心を言うと、私はいまだに自分が芸術家になれたとは思っていない。ふりかえってみるに、これらは筆やカンヴァスや素材をもって闘った求道への道程であった。
それらは前方に燦然と輝く星。それを見上げれば、なおいっそう遠くに行ってしまうような、まぶしい星のたたずまいを仰ぎみて、自分の精神の力と、道を求める心の奥の誠実によって、人の世の混迷と迷路をかきわけて、魂のありかを一歩でも先へ近づける努力であった。
考えてみるに、芸術家や政治家、医者などという職業のみが、特に世にぬきんでて偉いのではない。私がかつて感動した話は、身体障害者が施設で一日、一生懸命努力して、たった三個の小さなネジをやっとはめる仕事によって、神に自分が生かされているということの証を、自己自身感じとって、目を輝かしたということである。
芸術家が芸術をやっているというだけで、他の人より特に偉いぬきんでた人種であるわけではない。たとえば、労働者であろうと農民であろうと掃除人夫であろうと芸術家であろうと政治家、医者であろうと、その人々が今日より明日、明日より明後日と、自分の生命への輝きと畏敬に一歩でも近づけたなら、虚妄と暗愚の中に埋もれた社会の中で、それは人間として生まれた人間らしい一つの足跡となるのではないか。
今日、多くの人々は、飽食と猥雑と経済大国への道を求めて、栄達のためにせめぎあい、さまよっている。そうした社会の中で、重い荷物を背負った道を求めて歩むことは、より険しく、より困難になっている。しかし、そうした中でこそ、私はなおのこと魂の光明に近づきたい。
たとえば、ゴッホの絵は何十億円もするからすごいとか、ゴッホは精神病で天才だからすぐれているとか、そんな考えをする人が世の中には多いが、そんなことではゴッホを観たことにはならない。また、日本の精神科医は、ゴッホが分裂病だの癲癇だのと論議しすぎるきらいがある。私のゴッホ観は、彼が病気であったにもかかわらず、その芸術がいかに人間性にあふれ、強靭な人間美を持ち、求道の姿勢に満ちあふれていたかという、その輝かしい美しさにある。その激越な生きざまにある。
芸術家を志している私は、理不尽な環境に打ち勝つということは、追いつめられた立場に置かれた己れの苦しい状況に打ち勝つということであり、人間として生まれてきた故の試練であると思っている。だから、私の全人格をもってそれに立ち向かいたい。こういうことに巡り合ったことも、一つの人の世の運命であるから。
天の啓示によって、私は神に生かされているのである。艱難辛苦、己れを玉にする毎日である。そして、歳月とともに死を意識すること、日一日である。
光明に近づく求道の姿勢をいっそう深めたいと思い、大宇宙を背景にしても人間はしがない虫けらではないという畏敬の念を感じて、未来への心の位置を高めたい。そのため、私は芸術をそれへの手段として選んだ。これは一生をかけての仕事である。私の心を、死んで百年の間にたった一人でもよい、知ってくれる人がいたら、私はその一人の人のために芸術を創りつづけるであろう。
そんな思いで、私は絵画を描き、彫刻を作り、文章を書いているのである。
父・嘉門の死の九年後、1983年(昭和58年)12月に、母・茂が逝去した。母は終生、歌人でもあり、書家でもあった。母の遺稿を繙いていると、次の歌がみつかった。
大ぜいの知人逝かせてこの年も 暮れなんとすなり つはぶきの咲く
日の光 春をよびつゝぬかるみに まぶしく光る堤をゆけば
眠られぬ小夜の臥床にひびきつゝ 列車の音の遠ざかりたり
私は母のこの三首を、『心中櫻ヶ塚』の末尾に、「追記」として採録した。母に対する私の想いは、そして父に対する私の想いは、万巻を費やしても語りきれるものではないが、自分の著作の中に母の歌を添えることによって、私は父と母の思い出の片鱗を定着させたかった。
そして、愛憎ともに万感こもごもに至る想いを抱いて生きてきた私ではあるが、今はすべてを越えて、こんなふうに思えている。私にこの年まで生かせてくれ、生死の明暗と、現し世の光陰などの綾なす社会の仕組みを、そして修羅場を見させてくれ、人間としての正しい知恵と真実への憧憬を体験させてくれたのは、父と母であると。従って私は今、私を生んでくださった、私のもっとも尊敬し愛する亡き父と母に、心から感謝をしているのである。
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ダルファンさん
コメントありがとうございました。
昨夜からの出来事ですっかりまいっていましたが
ダルファンさんからのコメントを読み元気が出ました。
やはり誰かから「ありがとう」と言われるのは嬉しいものですね。
ダルファンさんと似たような考え、私にもあります。
それに、究極的には
病気か健常かの境目なんてどうでもよいのかな、とも。
今日はすっかり弱りはてましたが
ベースとしての調子の良さは変わらずあるように思います。
やはりデパケンにしたことは良かったと思います。